あることにとても腹を立てていた。こちらの要求を完全に無視して、自分の状況(苦境)だけを訴えてくる人に対してである。私がしたことに対して「ありがとう」も、要求に応えられない理由も言わず、それに対する「ごめんなさい」もないことに腹を立てていた。自分のことだけ。無性に腹が立って仕方がなかったので、友人に打ち明けた。すると私の気持ちが和むとても良い話をしてくれたので、心のささくれはだいぶ潤いを取り戻した。
夜10時のニュースを見ていたとき、私はふと苦境に陥る国の人に対して自国への感謝を強要するトランプ大統領の姿がさっきの自分と重なって見えた。ゼレンスキー大統領とトランプ大統領のやりとりを見たとき、なんとも虚しくやりきれない気持ちにさせられた。どんな政治的戦略のもとでのあの態度だったのか知らないが、してあげた、やってあげたばかりだなと。私が一番苦手なタイプ。でも裏を返せば私も傲慢になりやすい性質を持っているのだ。それを自覚しているからこそ気をつけていたのにいつのまにか…。
まぁ、私の方は我ながら「器が小さいな」と思う些細なことだ。感謝されたら嬉しい気持ちは誰しも同じだろう。でも、感謝の気持ちは本来心の底から自然にわいてくるもので人に強要されるものじゃない。どんなことも誰かから感謝されるために行うものではない。なにごとも、誰のためでもない、私がしたいからそれをする。それを徹底しているつもりだったのにいつの間にか、感謝してほしいだなんて心の奥底で思っている。まだまだ修行が足りてない何よりの証拠だ。厚かましい人にはなりたくない。それに気がついたことにまずは感謝する。
#日記 #自戒をこめて
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