『母の恋文 谷川徹三・多喜子の手紙』

谷川俊太郎さんが編纂した『母の恋文 谷川徹三・多喜子の手紙』の読後感。

ご自身のご両親が交わした手紙を公にするのは一体どんな気持ちなのだろうと思ったが、なるほどこれはただの恋文というにはあまりにも知的で哲学的で文学的だ。お2人の文章表現はまるで小説を読んでいるかのごとし。大正時代の若者たちの暮らしぶりや言葉遣いなどが新鮮に映り、時代を感じる読み物としての面白さに満ち満ちていたのである。解説文を寄稿した内田也哉子さんはお2人の手紙についてこんな風に書いていらっしゃる。

多喜子さんと徹三さんの手紙が、はじめの頃の初々しく素直で少しかしこまった言葉のキャッチボールから、徐々に魂からこぼれ落ちるままに互いの感受性や身体性を言語化したように変化していく様は、生命の泉を目の当たりにするような臨場感を覚えました。そして、青い春から大人の季節へ向かう道すがら、日本語で紡がれる美しい文章や詩だけではもはや語り尽くせぬ想いを、時に独語、仏語、英語特有の匂いへと変換するインテリジェンスの自在さには、惚れ惚れしてしまいます。

どんな男の人も恋に落ちている間は詩人になるというけれど、徹三さんはまさに詩で恋心を表現して相手に送った。手紙から察するに気分家で理屈っぽくてちょっと気難しい。そして寂しがり屋の一面も持ち合わせている印象だ。一方、多喜子さんは物事や気持ちをはっきりと述べ、感受性豊かで天真爛漫な印象を受ける。時に徹三さんより多喜子さんの方からサバサバした男らしさを感じることも。

情熱的な恋心を綴った手紙のやりとりは惚気全開。この調子でいつまで当てられるのかしらんと思うのだが、当時のハイカラな暮らしぶりやまだ駆け出しだったであろう文化人たちとの交流がうかがいしれるのも興味深くてついつい読み進んでしまう。あの時代、手紙は一日に何度も届いたのだろうかという疑問がわく。朝に書いて、夜にまた書いて…恐ろしく筆まめな2人なのである。手紙を送る相手が隣にいるにもかかわらず書いているものまである。谷川俊太郎さんのあとがきによれば、本に収めたのは見つかった手紙のうちほんの4分の1というから驚きである。

しかし、これほどまでに愛し合って結婚しても、人の心は移りゆくもの…「30年後の手紙」の章で読者に明かされる真実。多喜子さんの最後の手紙には胸が締めつけられたが、この章で書かれた手紙がこの本にさらなる深みを与えているように思う。途中めげそうになっても最後まで読むべし。


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てがみまYukoのふみあかり

田丸有子。 手紙の書き方コンサルタント。 札幌出身、東京都在住。 情緒があるものやエレガントなものに惹かれる50代。 無類の手紙好き。L.M.モンゴメリの小説が愛読書。 すきな言葉は「雲心月性」。

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